無神経というナイフ

無神経というのは、直接身体にナイフをあてがい削られるようなものだ。
無神経には二種類ある。
そのうちのひとつは、性格が悪くてわざと気づいていないふりをしている場合だ。
これは、言動を何回かみているとよくわかるし、本人も自覚があるから注意したときも、本人は一応気づかなかっただのフォローをいれてくるがわりかしスムーズに注意ができる。

たちが悪いのは、本人としては気づいていない場合だ。
これは最悪といっても過言ではない。
無自覚は他人も傷つけるし、本人も傷つくのでとても言いづらい。
かといって、そのまま放置しておけるほどでもない。
やはり、言わないと改善されないし言うことは優しさだと思う。

うやむやにして、自分さえ我慢すれば良いと考えは良くない。
環境の改善にもならないし、自己完結してしまいコミュニケーションにもならない。
そして、溜まったストレスのしわ寄せは必ずどこかにくるのだ。
それなら、そのストレスになっている核にちゃんと向き合った方がよっぽど良い。
日本人は不満を人に言うことは、いけないことだと溜め込みやすい。
いつもいつも不満ばかりいうのは人に嫌われるが、気のおける友人に不満をこぼす事は関係を密にさせる。
怒ったり感情を人に伝えるのは、とても勇気がいるしとても疲れる。
だが、それをめんどくさがったり諦めてしまってはいけない。
人間関係は自分で作っていくものだ。
人は人に揉まれ四苦八苦しながら、コミュニケーションとは何かと模索していく。
そうして、コミュニケーションしていくなかで学び、仲間を育て最終的には自分を大きく育てることに繋がるのだ。