みられるからみる

私はつい最近まで〝みられる〟側にいた。常にみられていることを意識したファッションや振舞いをしてきた。
みられることを意識するのは誰しもがするが、私のは過剰であり作意的な演出をしていた。
それはどういうものかというと、特別な日はもちろん毎日の日常でその日、その日のテーマを設け、同じ組み合わせにならないように気を付け頭に様々なものを乗せ、派手派手しい格好とメイクをしたものだ。
丸一日をそれで生活するので長時間、頭に負担がかかることになる。
時間と比例する疲労が積み重なっていくし、重いものもつけることもあったり風の抵抗を受けたり、自分の身体的感覚を超えた部分をつねに意識させられるのでストレスも溜まる。
なんで、そんな苦行をしていたのかというと、初めは毎日、別人でありたいという願望からだった。
単純にそういうことが楽しくて好きだったのもある。
そして、ビジュアルから人は内面をイメージするのでどういう自分をみせたいか、ありたいかと考え、自分をプロデュースし始めたのである。
笑う人、声をかけてくる人、写真をとる人、一緒に写真をとりたがる人、あらかさまに嫌な顔をする人、避ける人…と普通に出かけるだけでは得られないようないろんな反応が私に向けられる。
私はそういう人達に対して、見やすいように対応する。
大概の人は目線があったり、振り向いたりするとみることを遠慮してしまうので、歩く時はできるだけまわりをきょろきょろと見渡さないように一点をみて、表情を作らないで歩いた。
無断で写真を撮られている時も、気がつかないふりをした。
目立つことは、良くも悪くも目立つ。
そこら辺をふまえて私は行動していた。

私にとっても他者にとっても、私の頭部が私の顔と言っても過言ではなかった。私のヘアスタイルだけ覚えられていて顔を覚えてもらえないことも度々あった。
それは私にとって、アイディンティティでも誇りでもあったが同時にプレッシャーにも悩まされた。

私の意思とは反した表層的なキャラクターが一人歩きをしていく。
こういうことをしているからには、それは仕方が無いことだと諦めなければならないのかもしれない。
イメージの為に自分のやりたくないことをやったことも少なからずあった。

いつしかそれは、私にとってそれは私自身の重荷にもなり、作品を作る上でとても邪魔なものになってしまったのだ。

自分の作品とのギャップ。

元々、自分のイメージで最も大切なものとして〝ギャップ〟はあった。

大学で講評を受けるとき、作品と一緒に私のビジュアルも一緒に講評されていたて、いつしか自分の中でも作品と自分をセットとしてみられることが当たり前になってしまった。

なので、こういう作品を私が作れば、面白がってもらえる作品は想像できていたが、そういう作品はあえて避けた。
結果、私が作りたかった作品は評価はされなかった。
そうして、評価をもらえると想像した作品をあえて作ってみるとまわりからとても反応をもらえたのである。
私はとても複雑であり、悲しかった。
私の中でそれは芸術ではなかったからだ。
そこで次に試したことは、他者の求める私のイメージの作品と自分が表現したかった作品を組み合わせた作品を作った。
両方ともみてもらえ同じ土俵にあげられたと勘違いをした。

私を知っている人に作品を見られるのと、私を知らない人にみられるのは当然ながら違う。

だが、そもそもの問題がそこではなくて〝作品の強度〟だった。
私は自分のイメージと作品の結びつきにこだわり過ぎて本質を忘れてしまっていたのだ。

私の作品は作品としてあまりに貧相で薄っぺらいものだったことにようやく気が付く。

私が信じていたもの、作ってきたものってこんなものだったのかと脱力した。

私は自分が何がしたかったのかわからなくなってしまったのだ。

絵画やパフォーマンスや写真、四コマ漫画、服作りからタレントのまねごとから色んなことをした
だけど結局、なにひとつ結果をだせないまま中途半端だった。

当たり前だ。
私にとって本当に大切で本当に求めていて何の為に生きているのかと考えた。
芸術だ。
芸術を、本物の芸術をつくりたい。

本物の芸術は作家の個人的な経験を超え、無意識の中での共通意識の琴線に触れるそういう危ういものだ。

そういう作品を作りたいのであれば、まず自身を削いでいく必要がある。
自分のイメージについて悩まない環境をつくり、作品の純度、精度、強度を高めることだけに意識を置いた生活をこれから始めるのだ。

これは私の人生の中での6度目の大きな死だ。
私は死にまた生まれ変わる。