文書と声

つい少し前まで、自分の奥まったところにある言葉を素直に文章にすることができなかった。
誰もみていない秘密の日記さえも抽象的に濁したものしかかけなかったのだ。
それを具体的に表すのに怯えて逃げていたのかもしれない。
いや、実際はそうなのだ。
すべて保身の為だった。

こうしているうちに、恋人が私の触れられたくないところに容赦なく問いかけてくる。
最初は濁して濁していた。
だけど、いつまでも逃げてはいてはだめだ。
対峙しないといけない現実的な問題を直視し考える。
懸命に言葉を絞り出していく。
だけど声にもならなくて、涙と時間だけがひたすら流れていってしまうのだ。
なんで自分が泣いてしまうのかもわからず、止めようと思ってもおさまらない。
言葉を自分の声から発音することは、その言葉に言霊が込められる。
とても覚悟のいることだ。
しかも、自分の隠しておきたい恥ずかしい部分をさらけだし言わなければならないのだ。
とんでもなくすごく勇気がいる。
とても簡単にすぐに傷つく私は、それを守るために自分で咀嚼しきった言葉をできるだけ選んで生きてきた。
今、それが暴かれていく。
私のオブラートが切り裂かれ中の無抵抗な生の感情が。
ひねくれにひねくれた私よ、どうか、どうかたちなおってくれ。
声にして言葉にして現実にするのだ。