やさしいとは
私は昔からよく、菩薩のようだとかなんでも受け容れてくれそうといわれる。
でも、私はそんな優しくした覚えもないしたまに意地悪だってする。
それにも拘わらずそういってもらえることは、もしかしたら有難いことなのかもしれない。
それが良いかといったら難しいけど。
私自身、意地悪されたりしてもすぐにわからなかったりしてよくよく、思い返してこないだひどいことを言われたと気がつくことも多い。
感情にタイムラグがある。
私はただの馬鹿なのかも。
見た目もあほっぽいし、何処か抜けていて隙があるようにみえるとは思う。
だけど、ちゃんと踏み込ませたくない領域や判別はしてると思うしその分、人をよくみるようにしている。
私が受け流しているのを受け入れてもらっていると勘違いさせてしまっている部分もあるのかもなぁ…。
後、理不尽なことをされることも多い。
私が悪くないけど、八つ当たりされたりとか。
怒らないから、どうせすぐ許してくれるからとか思って向こうもそういうことしてくる人が多いのは当たり前で、そういう人はずる賢い。
その人のそういうことに対して、わかっていてやっているんでしょ?とか怒っても許してもらえると思っているから効果がない。
怒ることは本当の優しさだと思うし、自分自身もとても傷つく行為だと思う。
すごく難しい。
誰だって怒りたくないし怒りたくないものでもある。
ハシが転がるだけで笑い転げる人の怒り番みたいに理不尽なことで怒れる人が羨ましい。
私はそうじゃないかというと私も理不尽なことで怒ることもある。
けど、いつもいつも怒ってない。
まあ、そこまでいくとまた違うんだけど…笑
穏やかで優しい人が好きな判明、そういう人ってただの平和主義で言いたいことを有耶無耶にしている馬鹿な人と思ってるとこもある。
言いたいことを言って、怒ることができる人がやっぱりいいなぁ。
私もそうしているつもりだけど、怒り方が甘いみたいでうまくいってないけど。
家族は理不尽なことで怒るし、かなり激昂するタイプが多い。
私も家に帰るとものすごく怒りっぽくなるし、記憶がなくなるくらいばあーとなってしまう。
ものすごい怒り方されるとこっちもこっちで怒りやすくなるのかもな。
なんかなぁ…。
でも、ボブ・ディランの言葉でぼくにはヘンな癖があるけど、捨てなかった。それがぼくの個性だからっていうのがある。
それが、私の個性なのだから受け入れてその度にまた考えていけばいいのかな。
それに簡単に捨てられるものでもないしね。
〜の星の下に生まれてきたからしょうがないよって言葉は案外好きだったりする。
私ひとりでどうこうなる問題じゃなく、私と関わった人が私とどういう関係性を築きたいかだと思う。
それを一方的じゃなく、一緒に悩んでくれる人を大切にしていけば良いのかもな。