内緒の話だけど
話したいけど絶対話せないことだからここにこっそり書くけどね、
昔からずっーとあった癖がどういう理由だったのかと今更、気がついた!
私は、元々人に感情を読まれるのがとても気恥ずかしいところが実はあって無意識に焦るところ人にみられたくないが故に、何も考えてなさそうなフリを極自然に見えるように演じてしまう。
でも、心はめちゃくちゃ緊張して、大パニック状態なのを、自分で気がついていなくて後から反動がくる。
その行動が、独り言が止まらなくなることだ。
1人になった瞬間とか知り合いがいなくなるとたまに無性に、同じ歌詞のフレーズを壊れたラジオのように繰り返し続けたり、とりとめない言葉を次々と発し、奇声をあげたり、自身でやばい独り言とまらないと思ったことさえ声に出してしまい更に焦りを繰り返すところがある。
私は社交的で人見知りなく常にあほで何も考えていないように見えるし、こんなことを書いていても誰も信じることができないくらいそのフリが言動に染み付いている。
しかも、自分のことを自分で無意識に欺くことが癖になっている。
小さい頃から特殊な環境で生まれ育ったからそれは本当にしかたのないことだ。
私は現在、一般的な人よりたくさんの人と会う仕事をしているが、幼少期は大家族であるのに関わらず、1人で過ごす時間がとても多かった。
幼稚園もいかなかったので毎日1人の時間を寂しいとか何も感じずに生きてきた。
まわりが大人だらけでだったので、感情と行動の繋がりや共感が希薄でそういうのが理解できなかった。
毎日、膨大な時間をビデオデッキと探検に費やしていた。
幼少期は、私に対してうわべではない生の感情のプラス部分を向けてくれた思い出がない。
細かく考えるとあるとは思うのだが、思い出としてはいつも寝ていて、お人形さんのように私も感情がなかった。
反抗とか暴力的な面はとてもあったけど。
ただただ世界と私が広がる中、多数のコミュニケーションをあり方を一歩引いてみていた。
私の1人の世界は言語からとても遠く、感情を育成する時期に同年代の発達の影響を受けず、そういうサンプルもないが為に物事のセオリーを知らなかった。
コミュニケーションがいつも遠くて、なぜそういうやりとりを繰り返すかも理解していなく、その状況やまわりの反応の蓄積データを脳に溜め込み、自分の人からみた自分像にどれが最適か常に試していた。
私の内面には自分をコントロールしているような、まるで自分が自分というコンテンツをどうプロミングしてアップデートするかという感覚がある。
だから、自分を容易に変えることがオートマチックになりすぎている。
ただ大人になってようやくその思考と行動を一致して認識ができるようになってきた。
ただ、それは本当の私でなく無意識の私に逆に支配されていて、本当の私の感情は言葉でなく、まったくもって別のパフォーマンスで昇華されている。
自分の精神と肉体で好き勝手し始める。
私は尋常じゃなくシャイで、でもそれを人にバレるのが本当に嫌だ。
あくまで能天気なパープリンにみえる私である努力だった。
でもこれは癖だからきっとなおせない。
ある種の生存戦略なのかもしれない。
自分を知るたび、本質は自分が角砂糖のように脆く染まりやすいのかと思うと、人は貧弱な体をもったが故に、自分の生きていく思考と思考をどう快適にさせていくのかと思う。
人間が持つ、脳みその可能性はそれこそ未知数だが、ロボット三か条みたいなものが実は人にもあって、自分の死の危険回避としての代償行為を与えたのかもしれない。
あー、キスしたいなっていってても
奥底では満たされていない感情のガス抜きが本当の理由であったり、寂しさの本来の意味とは違う感覚を守る為の暗号だったりしているかも。